素性のものかと調べてみたら、なかにはちやんと日本内地の学校を出たものもゐるらしいが、多くは元の商売は理髪屋だといふ。つまり、楊州は床屋の産地なので、早くから技術修業のために一度は日本に渡つたものが、事変勃発と前後して郷里に引上げて来たのだけれども、遂に時勢は彼等をしてバリカンを捨てゝ舌の職業に転ぜしめたのである。
道理で県長専属の通訳の如きは、「えらいすみまへんな。ちよつと待つておくれやす」といふ調子で、神戸仕込かなにかの鮮やかなところをみせるものだから、なんにも知らぬ私は、変な通訳もあればあるものだと思つてゐた。
更めて云ふまでもなく、日本語の普及は、占領地区の重要な課題である。単に用を便じるのに必要であるとか、口が利ければ勢ひ日本人に馴れ親しむとかいふ直接の効果も十分考へられるが、それだけならこつちが支那語を覚へさへすればおんなじ理窟である。
私はさういふ実用方面のことよりも、日本語を通じて日本を知らせるといふ遠大な抱負をもつて進むことが、この際、文化的に見て新支那建設の基礎条件だと思ふ。
これがためには、この種の日本語学校を一層完備充実させ、優秀な日本語教師を養成すると同
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