しも融和を欠くといふ点があるとすれば、私は、お互にもつと根本的な人間心理の機微について自覚反省すべき領域がありはせぬかと思ふ。
 いつたい、どんなつき合ひでも、初めから相手を識つてかゝるなどいふことは、実際に云ふべくして行はれないことにきまつてゐる。日本人と支那人との間に、将来どんな交渉が続けられるにせよ、相手がこつちの流儀を知らぬからといふので、それをかれこれ問題にする筈はなく、問題はたゞ、相手がどんな人物であるか、人間として尊敬し得るかどうか、仲間として信用できるか、双方相手に求めるところが互に悦びをもつて与へ得るものであるか、さういふ点にかゝつてゐるのだと思ふ。
 さうだとすれば、何も今更慌てゝ支那人研究を始めるにも及ばぬといふ気がする。もつと大事なことは、既に国内的にも幾多の摩擦の原因となりつゝある吾々日本人の一つの性癖に就いて、徹底的な研究をしてみることである。
 支那側でも、同時にさういふことを試みて欲しい。私はかういふ時代に決してわれわれ同胞の短所をあげつらつて故ら快とする気持はないのであるけれども、将に齎されんとする輝やかしい国民の栄誉を前にして、私の心甚だ平かでないの
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