情は、つひに、私を駆つて、この処女迷作を日本に持ち帰らせたのである。

       二

 さて、もう一度話を前に戻す。
 日本にゐる頃、学校の教室や、僅かな参考書や、たまにのぞいてみる新聞雑誌の類で、現代フランスの劇壇について若干の知識を得たつもりでゐたのが、巴里へ渡つて実際の情勢を探つてみると、いろいろ新しい問題にもぶつかり、ぼんやりしてゐたことがはつきりし、今迄の価値判断が根こそぎ覆されるといふやうな始末であつたが、僕は、それについてかういふ風なことを考へた。第一に、芝居、殊に戯曲がほんたうに優れたものであるかどうかは、上演の結果だけではわからないのみならず、肝腎なことは、その時代の文学一般との関係に於てこれを検べなければならないのではないか? 従つて、劇評家の批評だけでは、何か肝腎なものが見落されてゐる惧れがあり、やはり文芸批評家の批評と併せて、その作品の時代的意義が全面的に浮び上るのではないかと云ふこと。
 第二は、初演には大成功を収めたといふものが、だんだん人気を失つて行くに反し、最初は冷評乃至酷評を受けたものが、十年二十年とたつてから、たまに再演される機会を恵まれ、これ
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