い」と云つた。嘘のやうな話だがほんとである。
 その数日後、私は、喀血をして、下宿のベツトで死の覚悟を決めた。が、死は僕を見放した。かくて、シヤンゼリゼエの小屋に無限の心残りを感じつゝ、医者の勧めで南仏ポオへ旅立つた。ピトエフからはなんの便りもなかつた。
 いよいよ、仏蘭西を去る日が来た。僕は、ピトエフに別れを告げに行つた。彼は、「黄色い微笑」について語るところは少く、たゞ、「ピトレスクだが、上演となると……」で、あとは言葉を濁してしまつた。夫人は、女主人公フサコがやつてみたいと云つた。お世辞であらう。
          ×
 当時、巴里にゐた辰野隆氏は、僕と劇を談ずる唯一の友であつた。私は、この先輩に、ちよつと照れながら、自作の脚本といふやつを読んでみてくれと頼んだ。念のため、といふわけでもなかつたが、いくぶん本気だといふ意味を伝へるために、この仏訳をピトエフに見せたこと、彼の批評はまんざらでもなかつたことを附け加へた。辰野氏たるもの、さぞ困られたことであらう。いくぶん本気で読むことを強ひられた形であつた。
 ここで、辰野氏の好意に満ちた激励の言葉を書き列ねる必要はあるまい。
 友
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