さう云へば、ヴイユウ・コロンビエの有力な俳優も、その動機はなんであれ、一人づゝ離れて行く気配が感じられた。劇団が「食へる」まで、個人は付てないのである。僕は、いろいろの事情を綜合して、これを俳優の「巣立ち」と呼んだ。事実、成長した才能は、これを迎へる手が八方にひろげられてゐるのである。
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 この間に、僕は、所謂「商業劇場《テアトル・ド・ブウルバール》」と「前衛劇場《アヴアンギヤルド》」との関係を調査した。そして、更に、国立劇場と俳優学校の意義と使命について、あらゆる否定的な論議を透しつゝ、これを肯定的に批判する立場を発見した。
 演劇の芸術的発展と、文化的基礎の二元的考察がそこから生れるのである。
 戯曲家が優れた作品を生む経路もほゞ理解され、時代の要求に応ずる俳優が、如何にして現はれるかの順序も、一切の例外を含めて截然と僕の頭のなかに描き出された。
 アントワアヌとスタニスラフスキイとコポオと、この三人を同時にシヤンゼリゼエの舞台の上に見た記憶は、僕の演劇理論を組み立てる象徴的な夢なのである。われわれは、その何れをも真似る必要はない。たゞ、彼等が、何ものであり
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