は誰の名もはつきり知らなかつた。一マルクス学徒たるN君が、選択して送つてくれたのが、長田秀雄、吉井勇、武者小路実篤、久保田万太郎の諸家であつた。
自分が戯曲家にならうなぞとは夢にも思つてゐなかつたから、これらの作品に、それぞれ辛い点をつけた。が、不思議なことに、一見、甚だ日本的と思はれる久保田万太郎氏を、僕は、そのなかで最も西洋演劇の伝統につながる作家とみなし、その意味を深く考へた。
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その頃、露西亜人ピトエフ夫妻が、超民族的一座を結成して巴里で旗挙げをした。上演目録の多様性に興味を惹かれ、首脳者ピトエフの演出者としての独自なシステムに学ぶところがあると思ひ、僕は、一日彼の楽屋に刺を通じた。彼の芸術的放浪は、当時の私を感傷的に共鳴させたが、それよりも第一に、孤立無援の演劇運動が、如何に犠牲多き事業であるかを知らしめた。ピトエフの名は次第に聞えて来た。座員は悉く饑えてゐた。「どん底」のルカに扮した一俳優は、マチネの終演後、僕の勧誘に応じてさゝやかなランチを共にしたのだが、彼はミユーズの嫣笑に身を持ちくづした男と自称し、ピトエフを恨みつゝ去り難き理由を説明した。
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