一度といふ演劇的開花期であつた。今から考へると、恐らく欧羅巴に於ける最後のそれではなかつたかと思はれる。その頃巴里にゐたわれわれは、演劇のあらゆるジヤンル、あらゆる時代、あらゆる民族的創造のコンクールを極めて短時日に閲覧し得る幸福に恵まれた。
 モスコー芸術座のレアリズムからアール・エ・アクシヨンの主観主義を通じて、近代の舞台が進まうとする方向と求めつゝある精神を検討し得た。「一切の新しさは、そのものゝ変化する部分である」ことが明瞭になつた。
「新しさ」はまことに、当時の僕にあつては眩惑的な魅力であつた。しかし、日本の演劇に何かを附け加へる必要があるとすれば、それは寧ろ、欧洲の演劇史を通じて、その「変る部分」よりも「変らない部分」なのだといふ見当がつきはじめた。
 それはなにか?
 僕は、ヴイユウ・コロンビエ座の仕事と精神のなかに、最もその顕著なるものを見た。何が「演劇を作るか」といふ根本的な問題がそこに横はつてゐた。日本には、「新しい演劇」がないばかりでなく、「演劇の正統的なもの」が見失はれようとしてゐたのである。
 僕は、日本から新作家の戯曲を取寄せて読みくらべてみようと思つた。私
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