れは信じてゐた。
さて、第一回公演に先だつて、「築地小劇場建設まで」といふ小山内氏の文章が発表された。
この文章は、永遠の青年小山内氏の面目を伝へるばかりでなく、当時の若い世代が新演劇に対して抱いてゐた熱情の一つの型を代表するものだと思ふ。参考のためにその全文を引用する。
「私が去年の三月、松竹と手を切つた時――それは私が日本の営利的劇場のすべてに対して、望みを絶つた時でした。
私は再び日本に於ける営利的の劇場には如何なる関係に於いてもはひつて行くまいと決心しました。私は唯書いて、僅に生活し、僅に自分を慰めました。
その内に私の思想の上にある黎明が来ました。それは独逸に行つてゐる土方が帰つて来たら二人で演劇学校を興す事でした。
大地震が来ました――その時私は家族を挙げて地方にゐました――東京の殆ど総ての劇場は焼け亡びてしまひました。私の心の中で半年前に亡びてしまつてゐた総ての劇場は目に見える形の上でも亡びてしまつたのです。……
併し、総ての劇場が亡びると共に私自身の希望も亡びてしまひました。少くとも十年のギヤツプが私の目前に口を開いたのです。
震災後の東京の劇壇――すべ
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