たが、みんなあらかた忘れてしまつた。
四月号から、僕は、山口才十といふ匿名で雑文記事を書きだした。「仏国劇作家の利権擁護運動」といつた類のものである、五月号では、水谷八重子の芸術座公演を批評した。
この批評文は、僕の最初の「新劇印象記」であるからこゝにちよつと抜萃する。
演技について。(シヨオの「軍人礼讃」)
私はまづニコラに扮した東屋三郎氏に満腔の讃辞を呈する、どこがいゝのか未だよくわからない。何しろ日本にもかういふ役者が出て来たかと思はれるやうな一種のエスプリイを持つた人のやうに思はれた。口だけでものを言つてゐない。すばらしい瞼の働きをもつてゐる。……
ライナに扮する水谷八重子嬢は悲劇の主人公にもしまほしき美しさだ。彼女の持味は古典喜劇の「|オボコ娘《アンジエニユウ》」だ、コケツトを演ずるためには何か知ら欠けたものがある。
田村秋子嬢のルーカはあゝ何時もすね[#「すね」に傍点]てばかりゐなければならないであらうか。だから、ほんとにすね[#「すね」に傍点]る時に、そのすね[#「すね」に傍点]が利かなくなる。よくあることだ。
要するに翻訳劇を日本でやるとすれば、先づ第一
前へ
次へ
全41ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング