能島武文、北尾亀男の両氏が働いてゐた。
今、その創刊号といふのを開いてみると、当時僕の気のつかなかつた劇壇の情勢が、手にとるやうにはつきり眼に浮ぶ。「復興後最初に見たい、演じたい、監督したい、装置したい脚本」といふ諸家のハガキ回答も、この雑誌の誕生を意味づけるものである。
僕の処女作「古い玩具」は、さういふ関係で、この雑誌の第三号に載せてもらふことになつた。
無名作家の、なにしろ百枚以上のものを一度にのせるといふのは、編輯者としては冒険であつたに違ひない。現にその月は二つしか戯曲がのらないので、後記はその断りを陳べてゐる。
さて、雑誌が店頭に出ると、僕はさすがに落ちついてゐられなかつた。誰がどこで読んでゐるかわからないと思ふと、外へ出るのも面映ゆいと云つたあんばいで、甚だ滑稽であつたが、果して、未知の読者から若干の手紙を貰つた。なかに、シユニツツレルを想はせるなどゝいふ有りがたい批評もあつて、僕はぼつとした。ところが、二三日して、読売新聞文芸部記者の訪問を受けた。これは大事件だ。僕の経歴を話せといふのである。写真を撮らせろといふのである。僕は神妙に問ひに答へ、レンズの前に坐つた
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