めてはまづいであらうにと思ひ、次に、これでもし、僕がせめて口でも動かしてゐなかつたとしたら、自分の書いた文章をかうして読まれてゐるそばで、ぢつと待つてゐるのはさぞ照れ臭いことであらうと思ひ、二重の意味で、山本氏の配慮の周到なことに気がついたのである。
第一場、第二場と進んだころ、
「うむ……」
と、山本氏の唸る声がした。退屈したとも取れ、感心したとも取れる、甚だ微妙な唸り声である。
第三場が終つた時、ちよつと休憩である。思ひ出してもぞつとする瞬間だ。山本氏の箸は、急に活気を呈し、眼鏡の奥で、眼が言葉を探してゐる。そして、僕の耳に、やがてこんな意味の言葉が、夢のやうに伝はつて来た。
「近頃読んだ脚本のなかで、これくらゐ面白いものはない」
僕は率直に、この甘い批評をこゝに書きつける。公けにすべき性質のものでないことは知つてゐるが、僕の作家生活の希望あるスタートは、この激励に負うてゐるからである。
帰りの夜道は、心の明るい灯によつて照らされてゐるやうであつた。
とは云へ、その興奮がさめた後の、あの名状しがたい不安をこゝで書き漏してはならぬ。それはなにか? 果して第二作が書けるかとい
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