といふ立場からはさうは行くまい。一歩譲つて、せめて「文明国の体面を保つ」程度のものをやつてはどんなものであらうか。
これは今日、興行者に向つていふことは無駄である。見物の方でさういふ意志表示をしさへすればいいのである。換言すれば、観てゐて「恥かしくなる」やうな芝居に向つて、容赦なく忿懣の意を表すべきである。それを悦んで見てゐる連中に、「おや、さうだつたか」と反省させるやうに手段を取るべきである。営業妨害を奨励するやうだが、それは却つて、興行者を勇気づける唯一の手段であり、一般観衆の劇場に「求めるもの」を、各自の頭にはつきり描き出させる好機会である。
政治家が文化的指導力を失ひ、民衆が生活に喘いで、趣味の方向を誤りつつある時、最も端的に、そして最も朗らかに、国民的堕落を警告し得るものは、劇場に於ける「教養ある青年」の痛烈な掛声であると私は信じる。
この方法は単に、営利劇場の「悪趣味」に対して必要であるのみならず、所謂「新劇」と称する独りよがりの舞台に対しても、同様、その「無定見」と「退屈さ」の度合を知らしめるために役立つであらう。
私は、現在の芝居が「つまらぬ」から観に行かぬとい
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