うに思ふ。国民は、それについて何を知つてゐるかと云へば、欧米は悪鬼の如く支那人の血を吸つたと云ふことだけである。恐らくそれは事実であらう。しかし、それだけが欧米依存の理由にはならぬ。これまで支那を旅行した人々は、地方の小都市に於てすらマリヤのやうな白色の尼僧が、貧民の娘たちに見事な刺繍を教へてゐる姿を見かけなかつたであらうか?
 日本は外務省の手で同仁会病院を経営し、上海には自然科学研究所といふ堂々たる学術の殿堂を築いたといふかも知れぬが、これを宣伝の側からみれば、例によつて露骨すぎるのである。そして、何故に、日本人は「日本のために」といふ看板が外せないのであらうか?
 われわれ同胞は、男女を通じて、欧米人の彼地においてなしつゝある程度のことを、なし得ない道理は断じてないのである。宗教はある人々にとつてこそ現実の補足であり、信念の拍車であるかも知れぬが、わが日本人は、それなくしては何もできぬといふ国民のうちにははひらぬ。それなら、何がそれを妨げてゐるか? はつきり云へば、わが国の最近の歴史は、かゝる能力あるものゝ手足を縛る不可思議な「思想」に支配されてゐたからである。

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