つた時、彼は、私に語つた。
「自分が今日までを支那で過した経験からいへば、嘗て、日露戦争後の一つ時、支那の上下をあげて日本贔屓であらうとした。日本でなければ夜が明けぬといふ状態になりはせぬかと思つた。その頃、誰が今日あることを想像し得よう。欧米人が日本人と異ることを若し支那において行つたとすれば、それはかうだ。欧米人は金を少し余計に出した。しかも、それは、資本を支那人の手に委ねて、その利益の幾分を要求するといふ仕方であつた。日本人は、金を出し惜んだ。しかも、君達は、自分で儲けて、その分前を彼等に与へようといふのだ。彼等は前者を選んだのだ」
 私は、この意見が正しいかどうかは知らぬ。もしそれに誤りがないとすれば、心理的に、結果は明かな筈である。支那人ぐらゐ心理の複雑な民族はないと私は思ふ。欧米人は、かの解剖癖によつてそこをつかんだといひ得ないであらうか?
 日本人の単純の美徳が、支那において容れられないとすれば、なんとか手を考へるべきである。
 私はかういふいひ方を好まぬが、欧米との対立が今や云々されてゐる時、欧米が支那に対して従来如何なることをなしたかといふ研究がもつと行はれてもよさゝ
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