を生んだりする幼稚さを脱しられぬものだらうか。
特に近頃目立つ「思想」に対する指導階級の浅薄な潔癖は、国家将来のための由々しい問題である。思想の統制、もとより可なりである。それは「思想」を思想し得るものゝ手によつてはじめて可能だといふことを深く自戒してほしい。実は、忌憚なく云へば、今度の事変に関係してゞも、わが当局が、支那の農民や苦力をつかまへて、「防共、防共」と叫んでゐる宣伝方法は、適当かどうか。
周知の如く、現在、わが思想対策の面に、旧左翼系統の人物が多く登場してゐるやうである。戦地に於ても、特務部のブレントラストの一部はこれらの人々によつて占められてゐる有様である。
それもよからう。結局、性格と気質が、先づかやうな雰囲気に適してゐるとみていゝからである。ところで、わが日本の思想的チャンピオンは、もともと中正にして転向を必要としなかつた人々のなかにもある筈である。
それらの多くが、自由主義者の名を以て葬り去られる原因は、彼等が少しばかり拗ねてゐるからに外ならぬと私はにらんでゐる。それは必ずしも時局の風に顔をそむけてゐるのではなく、寧ろわが指導階級の「教養」に対する軽侮に酬ゆ
前へ
次へ
全15ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング