し続けてゐたのである。ところが、彼女の死は、彼女の生命の終りであるのみならず、この「家」の永久の沈黙とでも云ひたいやうな、底知れぬ打撃を見舞つた。私は幼い二人の娘を前にして、彼女らの母の面影をはかなく手ぐりよせ、言葉しづかに云ひきかせる――
「お前たちは、お母さんが、かうなつてほしいと思つてゐたやうな娘にならなければいけないよ。それがお前たちのお母さんへのつとめだ」
 私は、少しの不安もなく、かう云ふことができた。

 去年の暮、彼女はもうすでに、少からぬ疲れをみせ、風邪をこじらせたと云つて、咳をしつゞけてゐたが、かの十二月八日のラジオの前で、そこへ起きて行つた私を見すゑながら、やゝ興奮した調子で、「たうとうはじまりましたわ。ラジオ、お聴きになつたら」と云つた。
 二月にはもう床から起きあがれなくなつてゐた。マレイ沖でプリンス・オヴ・ウェールスが沈められたあの報道を聞いて彼女は涙を流した。
 熱がいくら高くても、新聞にだけは自分で眼を通さなければ承知しなかつたといふことを、後から看護婦が白状した。私がそれを止めてゐたからである。呼吸《いき》を引きとるその日も、しびれの来た手を重たげに扱
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