るにはわかるけれども、いくらあつても足りぬやうな時間と労力の使ひ方をしてゐれば、それは、一向褒めたことではないのである。直接に子供のために使ふ時間と労力だけが、子供のためになるのではないといふことを、なぜもつと考へないのであらう。子供のためといふ名分があるだけに、私はとりわけ、さういふ母親に対して感謝をこめた希望を述べたくなる。
「かまける」ことから脱け出る工夫と、その修業こそ、女の「たしなみ」の大切な一項目である。
 何ごとにも「かまけぬ」主婦は、家庭生活を明朗にし、力づける。それがための準備は、ほんたうは、母の膝の上からなされねばならぬと思ふ。しかし、もの心づく娘時代からでも決して遅くはない。
 第四に、いはゆる「高い教養」が女性に何をつけ加へるかといふ問題である。正しい意味の深い教養は、たしかに、心を豊かにし、表情に磨きをかけ、趣味をよくし、智的な作業にも適する女性を作る。しかし、若し、高い教養なるものが、今日までのやうに、学校教育乃至は読書にのみよつて獲られたものを指すのであつたら、それは一般にも云はれるやうに、女性をして、女性の魅力の大部分を失はしめる結果に陥り易い。なぜなら
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