いぜい、栄養としてのみ摂取されるに過ぎなかつた。
道徳は批判に終り、知識は答弁のために用意され、美は自虐的努力と並んだ。心理の分裂と共に、観念と生活との遊離が著しい現象であつたにも拘はらず、誰もがそれに気づかなかつた。
高邁な思念は弊衣破帽にしか宿らぬと断じたのはまだよいとして、茶の湯や活け花が有閑の手すさびに堕し、何々至上主義といふやうな夢遊病的人生観の横行を新しい世代は歓迎した。
読書は「教養」のための殆ど唯一の手段と考へられた。考へられたばかりではなく、それは事実であつた。家庭と学校は、子弟の欲するところのものを与へ得ず、特に、何を欲せしむべきかを知らなかつた。雑誌の氾濫は一にその結果であり、活字は活字だけの力で、人間の精神と生活とを支配しようとした。
教養は新しい「たしなみ」でなければならなかつたのである。さう理解しつゝも、なほかつ修行の場と方法とを持たなかつた近代日本の社会は、あらゆる方面で、かくあるべき日本人の姿を見失はしめた。典型の消滅は、単に、女性ばかりでなく、まつたく青年の不幸であつた。
かくして、恋愛は情事の色を帯び、結婚は無条件の就職に似たものとなつた。
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