としては、愛情の表現について、やゝ懐疑的であつたと思はれるふしがあるけれども、気分にめづらしく晴曇なく、娘たちにとつてこの上もない清らかな「母」の映像を残して行つたに違ひないといふこと、これだけである。
青春に酔ひ、天才に魅せられ、かくあるべき人生を幻に描いてゐたこの薄命な一人の女の生涯を、私は、それが私の妻であつたがために悲しみ、憐れむものである。
時代と環境によつて導かれた女性の「教養」の型について、私は今しみじみと「犠牲」といふ言葉に思ひ及んでゐる。
十五年間、家庭を営むための惨憺たる努力の跡は、すべて彼女としては、日常茶飯の技術の上にあつたといふこと、それは綿密なノートだけではどうにもならぬ感覚の訓練と伝統の反射作用とでも云ふべきものであつたことである。従つてそれはもう絶望的と考へられるほど瑣末な神経の巨大な浪費を意味してゐた。病弱な肉体の過重な負担であつたことは想像に難くない。
彼女の憩ひと自由とは寧ろ精神の散歩のなかにあつた。しかも、孤独な散歩である。
地上の幸福は遂に訪れるべくもなかつた。宗教を求めて信仰をかち得ず、自尊の蔭に涼風をあつめて、静かに死を待つた一
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