かにも冷やかに思はれたらう。今ならば、私もさう思ふ。
 私たちの夫婦生活には、いはゆる危機といふやうなものは一度もなかつたやうに記憶する。二人は十分それを警戒し、それらしいものを意識することさへ恥ぢる気持が明らかにあつた。
 しかし、それが結局、いゝことであつたかどうか、今の私にはわからない。雨降つて地固るといふやうな、さういふ経験を一度も味はない夫婦に、なにか欠けてゐるものがあるとしたら、私たちは正しくその部類に属するであらう。
 家庭の平和といふ言葉が、それほど安易に使へるなら、私たちの生活は平和であつたと云つていゝ。それと同時に、問題にならぬやうな口喧嘩もしなかつたわけではない。それに、私たちは、いづれ劣らず喧嘩ぎらひの方であつたから、つい、喧嘩には身が入らなかつた。をかしいことに、早く冷静をとりもどす競争をするつもりだなと、雲行きの怪しかつた後の彼女をみると、私には思はれるときが多かつた。

 日記を読んでから、家内のその時々の心の動きをはじめて知り得たといふやうなところもあるにはあるが、それよりもやはり結婚前の、それも恐らく誰にものぞかせなかつたらうと思はれる心の秘密の一切を
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