はめ、そのため何かいたましい感じすら感じさせる。彼が一日でも二日でも家をはなれ、都会を離れ、ぼんやりしたり、勝手放題なことを考へたりできればと、私はどんなにかのぞむのだが、さて彼が留守になると、やつぱり不安なのである。
不意に「瞬間」がやつて来ることはないか。その「瞬間」の感じをせめて眼でなりと彼に語りたいのだ。

八月一日
真理子さんが上海の浴衣地を仕立てて持つて来て下すつた。ヨットや浮袋がついてゐる。海に行つた気分だけでも味はつてくれとのこと。また泣きさうになる。
暁暗の紀淡海峡にほのぼのと浮べる真帆も思ひいでつゝ
モーターボート浪をま白く切りて行くかの爽快も幾年知らず
ゴーギャンの描きしタヒチ思ふかな浴衣の船を眺めてあれば
白き帆の風にはためく音すなりいざ行け小舟わが夢のせて

八月十一日
白雲の空をおほひて湧き湧くを一と日ながめてつひに飽かざり
火てふものの生にかゝはる因縁を思ひみるかな灸をすゑつゝ

八月十五日
菅原さん来訪。お花を下すつた。紅をさしたやうな百合、薄紫の刷毛のやうな花、菊、りんだう。
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 日記はこゝで終つてゐる。
 八月十七日、あの雷
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