ためにどこか自由にならぬところがあると云へるものがあるのであります。さういふ事情がもとになつて、新体制の呼び声となり、国民再組織の運動となつたわけでありますが、その原因はいづれにあるかと云ひますと、私の考へでは、国民の一人一人が、わが国古来の「たしなみ」といふものを、つい、忘れかけたといふ一事に尽きるやうに思ひます。
 国民に「たしなみ」が欠けてゐては、国の国風《くにぶり》といふものは振ひません。
 日本の歴史を通じて、時代時代に形の上の移り変りはありますが、あれほど、人間的滋味を発揮した日本的な「たしなみ」が、この昭和の聖代に、なぜ、その影を消したかのやうに見えるのでありませう?
 それは西欧的教養が、未熟のまゝ取り入れられたからであります。また、封建的な躾けが、一方そのまゝ若い時代へのしかゝつたからであります。この二つの現象は、明治末期から今日へかけて、すくよかに発展すべき日本文化を、混乱させ、荒廃させました。そんなわけですから、若し日本の近代化が先づ軍備より起り、民族の特質が先づ国軍の結成の上に集中し、国家活動の重点が、勢ひ武力の宣揚におかれなかつたならば、今日われわれは、恐らく
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