の、西洋流平和主義に対し、われわれ日本人として、厳しい批判を加へておかなければなりません。
 元来、国家の存立といふものは、個人の存在と、その根本に於て意味が違ふことを、はつきりわれわれの道徳は教へてをります。個人は、その生命に自然の限界があり、生命の尊さにも亦おのづから制約があるのであります。人は数々の理由によつて、みづから死を択ぶことすらあります。然るに、わが国は、いかなることがあつても滅んではならず、また、いかなる困難があつても、栄えねばならぬ絶対無上の生命が籠つてゐるのであります。そのため「七生報国」は、日本国民の血液にひそむ大悲願なのであります。
 こゝに個人の倫理と、国家の倫理との微妙な相違が生じます。道義日本の正道は、饑ゑて死を待つところには断じてないのであります。
 さて、いま私が静かに過去、現在、未来を考へてみますと、わが日本のいろいろな姿が目に浮んで来ます。そのうち過去はともかく、未来もさておき、この現在について考へると、それはどこかで少し無理をしてゐるといふ気がしないではありません。といふ意味は、決して、実力以上のことをしてゐるといふのではなく、寧ろ実力を発揮する
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