日本の劇壇に移されたといつていい。その世界は極端に狭いものであるが、雰囲気の描写と会話の劇的リズムとは自ら彼の作品をユニックなものにしてゐる。商業劇場は、それゆゑに、彼を迎へようとしないのである。
 前記築地小劇場の創立は、様々な意味で新時代の作家を刺激したが、新劇当事者の気まぐれと衒学的態度は、遂に、そこから有為な作家も、訓練ある俳優をも生み出すに至らず、間もなく、小山内の死と共に、劇団は崩壊した。
 この期間に、別の方面で、西洋近代戯曲の大部な翻訳出版が行はれた。浪漫主義より表現派までの、あらゆる先駆的作品は、悉く日本語で読み得るやうになつた。仏蘭西劇が新しい面貌をもつて登場した。

 旧劇俳優に魅力を感ぜず、所謂新劇俳優の技術を信じない少数の新進劇作家は、勢ひ、「未来の劇場」のために書かざるを得なくなつた。ここで、改めて、「戯曲の本質」といふ問題が考へられ、「舞台の言葉」を探す努力が続けられた。
 その結果が、漸く現はれた。この二三年来、劇文学の領域に於ては、舞台と関係なく、著しい進化が認められるやうになつた。
 一時、若い演劇的スノブを総動員し得た観のあるプロレタリア演劇が、再
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