び鳴りをひそめて以来、真に才能ある戯曲作家の一群がそれぞれ質実な、同時に溌剌たる作品を彼等の同人雑誌に発表して、輝やかしい未来を約束しはじめた。
 彼等の書くものは、もはや、歌舞伎乃至新派俳優の手におへぬものである。更にまた、所謂今日までの新劇俳優と呼ばれるものの西洋翻訳劇の経験のみをもつてしては、満足な表現を期待することが困難なものである。それは、恐らく近代の教養と感覚とが、生活そのもののうちで整理された、品位とニュアンスに富む演技を必要とすることが誰にでもわかるのである。
 が、さういふ素質の演技は、恐らく、俳優が舞台の上で修得するものではなく、生れながら、少くとも、俳優を志すと同時に会得してゐなくてはならぬ。言ひ換へれば、将来、全く別な方向から、俳優志望者を募らなければならないのである。ところで、現在の劇場は何れを見ても、かかる素質をもつた青年男女を惹きつけるやうな好餌がない。演劇の地平線は、まだ暗雲に閉されてゐる。

 東京の大劇場では、欧米の都市ですら見られないやうな悪趣味と幼稚さが幅をきかし、半素人の研究劇団は、常に収支が償はぬため、気息奄々たる有様である。
 昨年の暮、「
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング