れて、朗かな微笑を浮べる。が、ふと、気がついたやうに、慌てゝ威厳を取戻し)ふん、もう免疫ですよだ。
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群集の黒山をかきわけて、彼女と彼とは左右に別れる。
群集は、口々に「天城更子だ」「三堂微々だ」など喚き立てる。(合唱)

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○更子の家。

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更子は寝台の上で新開を読んでゐる。
新聞の三面には「天城更子嬢の暴行」といふ大見出しで、二段抜きの記事。
春日珠枝が、名刺を持つて来る。更子は、それを一瞥して、
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更子  昨日から、さう云つてるだらう。新聞社の人には、当分、絶対に会はないつて……。
珠枝  でも、是非つて云ふんですの。
更子  向うの「是非」より、こつちの「絶対に」の方が強いんだからね。さう云つておやり。
珠枝  それが、この人、変なこと云ふもんですから……。
更子  変なことつて……?
珠枝  先生の御一身上について、何か重大な問題が起るかも知れないつて……。
更子  通してごらん。会つてみるから……。応接は片づいてるね。

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○応接間に、珠枝の案内で、新聞記者Aがはひつて来る。
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記者A  横川さんは来てますか。
珠枝  いゝえ。
記者A  毎晩来るんぢやないんですか。
珠枝  いゝえ。あたくし、存じません、そんなこと……。
記者A  世間でみんな知つてることを、あんたが知らんといふ法はない。
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珠枝と入れ違ひに、更子がはひつて来る。
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更子  なんのお話しですの。もう、あの問題なら、勘弁して頂戴ね。
記者A  いえ、実はその、今朝の記事でもちよつと触れといたんですが、あの横川氏ですな……横川洗身氏……あの方はあなたと、どういふ御関係なんですか。
更子  さあ……役者風に云へば、御贔負とでも云ふんでせうか。
記者A  つまり、パトロンですな。
更子  清潔な意味で、さうね、さう云つていゝわ。
記者A  すると、あの方は、なんですか、あなたの……ラヴアアといふんでもないんですか。
更子  その質問は、少し立入り過ぎてやしません?
記者A  その立入つたことが伺ひたいんです。世間では、もう、一般にさう信じてますが、今度のやうな事件を機会に、お二人の間が、表面的に、どう進展するかといふ興味を、われわれは持つてるんです。
更子  ぢや、そんな興味は、おもちにならない方がお悧巧ですわ。実は、あたしの立場としても、世間のさういふ誤解を解いておく方が便利なんですの。少し早すぎるかも知れませんけど、序だから、申上げますわ。あたし、近いうちに、恋愛をするかも知れません。
記者  (鉛筆を嘗め)はあ、相手の方は?
更子  名前はまだ、公表できません。
記者  何をしてる人ですか。
更子  さあ、それも、当分……。
記者  それぢやあ、しかし、記事になりませんなあ。
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     三

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〇漫画展覧会場。

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会期が終り、今、出品の絵を片づけてゐるところ。
中根六遍と加治わたるの絵は大部分売れ残り、三堂微々のみは僅かに、問題の絵一枚を除いて悉く売約済。
微々は、問題の絵から、「非売品」の札をはがし、額縁から外して傷を埋めようとしてゐる。
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六遍  自分の絵は、これで、手離すとなると惜しいもんでね。やつぱり、朝晩、眺めてゐたいよ。
わたる  幸ひ、気に入つた絵だけは、みんな売れずにすんだから有難い。
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この時、微々は、傷ついた絵をそつとつまみ上げる。すると、額縁の中に、小さな光つたものを発見する。
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微々  やツ、これは不思議……。
六遍  なんだ。
微々  (大粒のダイヤを拾ひ上げ)これを見ろ。
わたる  彼女が落したつてやつだ。何処にあつた?
微々  こん中だ。(額縁の隅を指す)
六遍  こん中とは云へ、貴公一人のもんではないぞ。
微々  なぜだ?
わたる  こゝは、われわれの展覧会場だ。
六遍  千円は、おれたち三人が取るんだ。
微々  見つけたのはおれ一人だ。
わたる  そばにゐたのは、おれたちだ。
六遍  騒ぐな、騒ぐな。話はわかつとる。早くしろ、おい、微々!

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○銀座の鋪道。

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三堂微々が、額の包みを小脇にかゝへ、ぶら/\歩いてゐる。ふと、宝石商の前に立ち止る。店の中にはひる。
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微々  (件のダイヤを取り出し、番頭に)これは、いくらぐらゐのもんかね。
番頭  (受け取つて、仔細に点検した上、目方を計り)さやうですな、只今で、七百円ぐらゐもいたしませうか。
微々  これとよく似た格好で、うんと安いやつはないかね。勿論、硝子でもなんでもいゝ。
番頭  手前共にございますんでは、硝子ではございませんが、人造で、六七円からの品でございますよ。ちよつとお目にかけませう。
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微々は、出された多くの石の中から、素人ならちよつと瞞されさうな人造ダイヤを取り上げ、元のやつと比べてみる。
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番頭  さうやつて御覧になりますと、比較になりません。
微々  いや、これで結構。いくら?
番頭  その方は、七円でよろしうございます。
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微々は、金を弘つて外へ出る。何がうれしいのか、にこ/\しながら、口笛など吹く。

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○バア・クレオパトラ。

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微々は、女給の案内で、その一隅に陣取る。ビールを飲みながら、ポケツトの蟇口から、さつきのダイヤを取り出し、女給共に見せる。
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微々  どつちが高いと思ふ?
女給A  これ、本物か知ら?
女給B  怪しいわね。
微々  (別の一つを取り出し)ぢや、これは……?
女給A  どら、どら……この方が光るわね。
女給B  硝子を切つてみればわかるわ。
女給C  かういふのが、却つて瞞されるのよ。わたし、どつちかつて云へば、そつちの方が高いと思ふわ。
微々  (起ち上り)電話……。
女給A  (先に立ち)こちら……。

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○電話口。
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微々  (電話帳を繰り)えゝと、トオケウトオキイ株式会社撮影所と……。あつた。(番号を廻し)あ、もし、もし、トオケウトオキイの撮影所ですね。天城更子にちよつと出て貰ひたいんですがね……えゝ、アマギ……サラコ……さうです。僕は兄です。……はい……例の事件で、至急話があるつて云つて下さい。……はい……(口笛)……はい、はい……撮影中……はあ、すると、急用でも駄目ですか。それなら、あなた、そこに、紙と鉛筆ありますか。書いて下さい。「例の紛失物、小生、偶然に拾得……シウはヒロフ……拾得いたし、ついては、直接御手渡しいたしたきにつき、会見の場所、時日、御指定下されたし。」――それをね、本人に見せて、すぐ返事をして下さい。
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そこで、微々は、受話機を耳にあてたまゝ、ぢつと返事を待つてゐる。

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○天城更子の家。

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応接間である。
更子と、横川と、弁護士嬉野とが卓子を囲んで話してゐる。
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横川  さういふ席に立会ふのは、少し困るな。相手がどんな奴かわからないとすると、なほさらだ。
更子  わからないから、あたし一人ぢや心配なのよ。
嬉野  いゝところへ御気づきになりました。兎角、御婦人だけだと、かういふ問題では間違ひが起り易いです。
更子  あのダイヤが手にはひれば、千円は惜しくないわ。ねえ、あなた、用意しといて頂戴ね。
横川  千円は惜しいよ。そんなことも、僕に相談すれやよかつたんだ。
更子  だつて、三千円なくしちまふより、千円損した方がましでせう。
横川  今なら、三千円はしないよ。まあ、いゝさ、しかたがない。僕なら、拾つた奴にあれをやつちまつて、千円で新しい奴を買ふね。
更子  いゝわよ。あのダイヤ、あたし気に入つてるのよ。
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この時、呼鈴の音。やがて、春日珠枝が「ダイヤを拾つた男」の来着を告げる。
緊張した一瞬間。
三堂微々が、粛然とはひつて来る。
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更子  あツ!
微々  僕だと云つては、会つて下さらないと思ひまして、わざと、名前を云ひませんでした。
更子  それぢや、ダイヤのことも嘘なんでせう?
微々  嘘ぢやありません。こゝに持つてゐます。が、お話は二人きりでしたいもんですな。
更子  (横川に)どうしませう。
横川  どなたゞ、この方は?
微々  三堂微々、漫画を描いてゐます。
横川  あゝ。僕、横川といふもんです。
嬉野  わたくし、かういふもんです。(名刺を出す)
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長い沈黙。
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横川  (更子に)君一人で話をし給へ。大丈夫だらう。
微々  大丈夫です。
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横川と嬉野は、次の間に去る。
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微々  この間は失礼しました。これは、非売品にしたのですが(額の包みをほどき)特に、記念としてあなたに進呈します。(絵を差し出し、卓子の上に置く)
更子  (黙つてそれを見てゐるが、いきなり、手に取り上げて、傍らの長椅子の上に投げ出す)
微々  まだ怒つてらつしやるんですか。それでは、次にあの際お落しになつたダイヤですが、何処で拾つたとお思ひになります。
更子  ……。
微々  不思議ですね、あの絵の裏にはひつてました。絵には勿論穴があいてゐます。今朝、会場を片づける時に、そいつを発見したんです。ところで、誠に困つたことができたと云ふのは、僕、実は、少し前に、あるところで、やはり、ダイヤを一つ買つたんです。何時かそのうちに恋人でもできたら、贈物にでもしようと思つて、奮発をしたもんなんですが、そいつを、蟇口ん中へほうり込んで、そのまゝ忘れてゐました。で、今日、偶然、あなたのダイヤをまた、その蟇口ん中へしまつたんですが、さて、たつた今、気がついて出してみると、どつちがあなたので、どつちが僕のだかわからなくなつた。所が丸でおんなじなもんですから、僕たち素人には、ちよつと見分けがつかんです。ひとつ御面倒ですが鑑定をして下さい。
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微々は、卓子の上に、二つのダイヤを並べる。
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微々  どつちです、あなたのは?
更子  (二つを見比べてゐるが、やがて)むろん、こつちですわ。(一つを引寄せる)
微々  (残つた方を手に取り、それを見つめながら、にやにや笑ひながら)さうですかなあ……たしかでせうね。
更子  (急に自信がなくなり)ちよつと、拝見……。
微々  どうぞ。(渡す)
更子  さうおつしやれば、こつちのやうですわ。
微々  (前のやつを手に取り)さうでせう。うつかりすると、そつちの方が安手に見えますけれど……こつちは、少し光が強すぎますからね。しかし、間違ひはないでせうね。(蟇口の中へしまひかける)
更子  でも、これは少
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