喧嘩上手
(トオキイ脚本)
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)効《き》いて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しげ/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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人物(画面に現はれる順)
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春日珠枝 更子の弟子
天城更子 映画女優
老婢よし
武部 日の出新報記者
横川 更子のパトロン
嬉野 弁護士
三堂微々 漫画家
加治わたる 同右
中根六遍 同右
新聞記者A
同B
同C
運転手
監督
高見 「トオケウトオキイ」支配人
社員
女優A
男優B
女優C
女優D
家庭倶楽部記者
客A┐
客B├雑誌記者
客C┘
宝石屋の番頭
女給A
同B
同C
その外、無言役多勢
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[#改ページ]
一
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○天城更子の家の応接間。
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弟子の春日珠枝が襷掛けで歌を唱ひながら掃除をしてゐる。午後十時。
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○更子の寝室。
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寝台で眠つてゐる彼女。
老婢よしが新聞の束を枕下に置いて去る。
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○応接間。
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珠枝 先生はまだ眠つてらしつて?
老婢 まさか狸寝ぢやありますまいね。こないだみたいに、胡瓜の尻尾を口へ入れてたらさ、あんた、「婆や何たべてたの」なんて、後で云はれるんだから、油断がなりませんよ。
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○寝室。
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更子が眼をさます。半身を起し、新聞を一つ一つ取上げて、演芸欄に日を通す。「ふん」とか、「ちえツ」とか、「へえ」とか、ひと通りの挨拶。さて、最後の一枚を取り上げ、
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更子 どうしたつて云ふんだらう。近頃、さつぱり名前が出なくなつちやつたわ。そのくせ、何本も取つてるんだけど……。
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が、彼女の眼は、急にある頁に吸ひ寄せられる。彼女の漫画が出てゐるのだ。険しい表情。新聞を荒々しく投げ出し、極度の不満を抑へてゐる様子である。やがて、また、それを取り上げ、しげ/\と見つめながら、「さう云へば、どつか似てるかしら……」と呟く。
笑ひたくもあり、泣きたくもあり、彼女は、手鏡を取り上げて自分の顔を映して見る。
それから、呼鈴を押す。
珠枝が現はれる。
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更子 (件の漫画を、説明の部分だけ片手で押へながら、珠枝に見せ)これ、だれだかわかる?
珠枝 (むろん直ぐにわかり、笑ひだしさうになつたのを、相手の眼付で、それを察し)さあ……。
更子 わからない筈ないわ。
珠枝 わかりませんですねえ。どなたでせう。
更子 どなたなんて云はなくたつていゝよ。どうせ、へつぽこ画かきなんだもの。三堂微々なんて、だあれも知りやしないだろ。
珠枝 漫画家つて、何うしてかう、意地が悪いんでせう。こんな風に描かれて、愉快になるひとなんか、ないと思ひますわ。
更子 だからさ、ちやんと云つとくれよ、これがあたしだと見えるか何うか。
珠枝 (当惑して)あら、これが先生……いやですわ……先生がこんな……
更子 失敬ぢやないの第一。ねえ、さうだらう。これを見たら、だれだつて、あたしに愛想をつかしちやふわ。
珠枝 そんなこと、ありませんわ、先生。漫画なんてだれでも真面目に見やしませんし、それに、新聞はその日かぎりですもの。
更子 冗談云つちやいけないよ、あんたこれ読めないの。この絵がちやんと展覧会に出てゐるんだからね。まいにち、何千人だか何万人だか知らないけど、この絵の前に立ち止つてさ、やれ何のかんのつて、あたしの噂をするんだらう。これ位ひどい侮辱が、世の中にあるかしら。おまけに、この絵の下には、あたしの名前が麗々しく書いてあつてさ。「やあ、似てる/\」なんて、一人が云つて御覧よ。みんなが声を揃へて笑ふにきまつてるわ。今まで撮つた写真の中で、あたしが何んなにチヤーミングでも、そんなことは、みんな忘れちまつてるわ。この次の写真なんか、だあれも見に行きやしないわ。あたしは、もうこれでおしまひよ。いゝわ、いゝわ、あたしが何うするか見てゝ御覧。
珠枝 でも、そんなことおつしやつたつて、先生……。向ふでも、悪気があるわけぢやないと思ひますわ。
更子 (声を張り上げ)悪気がなくつて、こんな顔が描けるかい。何さ、この鼻は……何さ、この顎は……何さ、この髪の恰好は……。わざと可笑しなもんをくつ付けて、それで誰かに似せたつもりなら、失業者はみんな画かきになるといゝわ。
珠枝 何を見てかいたんでせう。先生のに、横向きのプロマイドがあつたかしら。
更子 いゝよ。何うだつて、そんなこと。それより、早く、電話をかけておくれ。
珠枝 どこへでございます。
更子 わかつてるぢやないの、あの方よ。
珠枝 横川さんでございますか。
更子 さうだよ。早く……。事務所の方だよ。
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○電話室。
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更子電話口にて――
「あたし……おわかりになつて……。お早う……。うふん、さうでもないわよ……それやさうと、今朝の日の出新報御覧になつた? え? 御覧になつたの? ぢや、御存じでせう? その事でね、ぜひ御相談があるの。えゝ、さうよ。とても……。だからよ……直ぐ来ていたゞきたいの。えゝゝ、まあそんなとこ。モチ宥さないわ……。可笑しいつて、何が? 兎に角、大急ぎで……お待ちしてゝよ」(受話機を一旦かけ、更に新しい番号を呼び出す)「……はい、もし、もし、そちら、日の出新報ですか……演芸欄の編輯へ繋いで下さい……。はい、こちらは天城です、天城更子……。え? はつきりつて、はつきり云つてるぢやありませんか……兎に角、繋いで下さい……。人を馬鹿にしてるわ。話中……はい、……あゝ、あなた演芸欄の方……さう、今朝ほどはどうも有りがたう。いゝえ、実はね、あの絵のことで、あたし、少し怒つてるのよ。三堂微々とかつて、どんな奴か御存じ? さうでせう、名前なんかちつとも聞かないわね……」
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○日の出新報の編輯局。
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記者武部が電話をかけてゐる。
「いや、さういふわけぢやないんですが、展覧会では、あの画が素晴らしく評判なんですよ。それで、なんですか、あなたから、何か抗議でも下さるおつもりですか」
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○更子――
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「さあ、どうするか、まだきめてませんけど、何れ、相談をしてから……」
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○武部――
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「今からすぐ伺つてもいゝですか。……午前中ですね、はい、わかりました。ぢや、さよなら……」記者達は、この「特種」を囲んで、策戦をめぐらし始める。
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○更子の家の応接間。
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彼女は横川と対ひ合つて話をしてゐる。傍らに弁護士嬉野が控えてゐる。
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横川 君がそれほど憤慨するなら、まあ謝まらせるぐらゐのことはしてもいゝだらう。
嬉野 名誉毀損で訴へてもよろしいですな。
横川 慰藉料ぐらゐ取れるかい。
嬉野 取れますとも。
更子 そんなことはどうでも、懲りさせてやることが大事だわ。
嬉野 何か、あなたの場合に限つてといふやうな、特別な名目が立つといゝですがな。
更子 あたしの場合には、名目が立つと思ふわ。法律ではどうか知らないけど、人が一番大切にしてるものを、理由なく傷けたつていふ場合はどうなるの。
横川 傷けたことになるかね。
更子 なるぢやないの。女優は、美しいつてことが、第一の誇りでせう。それが財産、それが命だわ。さうでせう、それを、あんな風に世間へ伝へられてごらんなさい、これは致命的な損害ぢやありませんか。
嬉野 よろしい。つまり、損害賠償の訴へを起せばいゝです。問題は、その金額です。
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春日珠枝が、名刺をもつてはひつて来る。更子と横川とがそれを見る。
「日の出新報記者 武部等」
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更子 こつちへ通して、いゝわ。
横川 僕はゐない方がいゝだらう。(部屋を出ながら、嬉野に)君は、そばで助け太刀をしてやつてくれ。
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武部がはひつて来る。
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武部 先程は……それで、結局、どうなりましたか。(手帳を出す)
更子 (嬉野に)何でしたつけ?
嬉野 (名刺を出し武部に渡す)わたくし、かういふものです。実は今度の事件について、只今御相談を受けたのですが、御承知の通り、問題は非常にデリケートな感情の領域に亘つて居りますので、これは法律家として、理論で押して行く前に、先づ御本人の、何と云ひますか、極く特殊な心理状態を基礎として、先方へ要求を提出しなければならないと思ひます。従つて訴訟の名目は仮りに損害賠償といふことに致しますが、御本人のお心持から云へば、むしろ名誉毀損……
武部 名誉と云ひますと?
更子 女優は、美しいつていはれることが、何よりの名誉ですわ。
武部 成程……。
更子 そればかりぢやありません。あたしの本当の姿をまだ見たことのない人達が、たとへ漫画にもせよ、あの、滑稽な、憎々しい、馬鹿げた、気味の悪い、一口で云へば、グロテスクな、醜態極まる女の顔を、これが天城更子だと思ひ込んでくれたら、私はそれだけで、命の半分を失ふんです。私は、自分自身に対して、美しさを守る権利があり、何十万といふ私のフアンに対して、私の美しさを、飽くまでも類ひないものにする義務がございます。そればかりではありません。「美しい」と申すことは、一つの信仰です。自分でもそれを信じ、人様にも、それを信じていたゞかなければなりません。私は、たゞ、三堂微々といふ一人の漫画家と戦ふのではありません。美しいものを美しいと感じない不都合な野蛮人どもを、残らず日本の国土から追ひ出してしまふ決心です。
武部 すると、損害賠償の額は……?
嬉野 それが、その……。
更子 一万円……。
武部 は?
更子 一万円ですよ。安すぎますか。
武部 (書きつけながら)いえ。や、どうも御邪魔しました。
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○武部は更子の家を出ると、すぐにタクシイをつかまへ、その足で、銀座資生堂へ駈けつける。
○銀座資生堂。二階新興漫画展覧会。
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受附には、出品者たる漫画家が三人。三堂微々を初めとして、加治わたる、中根六遍、卓子を囲んで陽気に――
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六遍 招待状が丸で効《き》いてないね。天気は良し……。
微々 野球はなし……。
わたる 絶好の漫画日和ぢやないか。
六遍 これで、幾人?
わたる 招待もいれて六人。
微々 一時間平均二人か。髪床屋なら、相当なもんだ。
六遍 新聞が案外冷淡だよ。
わたる 事大主義は遍く行き渡つとる。昨日「日の出」から写真を撮りに来たと思つたら、演芸欄さ。面白くもねえ。それも、こいつのが一枚。
微々 妬くなよ。もうちつとの辛棒だ。
六遍 さう云へば、映画女優の顔を、もつと描くんだつたな。文士や政治家の面よりや、たしかに受けるだらう。
わたる 尤も、女優の面なんて、どいつもこいつも、漫画的に見りや、平凡この上なしだからな。セシル・ソレル嬢みたいなのが、一
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