人でもゐてくれゝば格別だが……。
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入場者一人。
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六遍 切符はこちらで差上げます。十銭……あ、招待券をお持ちですか。いけねえ、どうぞ、そちらへ……。
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武部がはひつて来る。
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わたる 招待券をお持ちですか。
武部 (名刺を出す)
わたる いけねえ。どうぞ、御ゆつくり。
武部 いや、実は、今朝私の方の新聞へ乗せました漫画のことについてゞすがね。その女優さんにたつた今、会つて来たんです。大変なことになりましたよ。
微々 大変と云ふと……。
武部 ついては、あの作者にお目にかゝつて、是非、私からお伝へしたいことがあるんです。
微々 はゝあ。
武部 三堂さんとおつしやいましたよ。御住所はおわかりでせうか。
微々 わかつてます。僕、案内しませう。
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微々は、仲間に目くばせをして、武部と共に出て行く。
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六遍 ちえツ、うめえことをやりやがつた。
わたる 早速、注文だな。
六遍 正面からのをもう一枚つてところだらう。
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○タクシイの中。
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武部 高円寺はどの辺ですか。
微々 駅から北へ約十町。
武部 ぢや、私んちの近所だ。
微々 あの辺は、月収百円以下つてのが多いんだ。
武部 おほきに。あなたのお住居は……。
微々 やはり、その辺さ。
武部 三堂さんは、まだお一人ですか。
微々 一人でも半分みたいなもんだ。
武部 すると、お暮しは、あまり、お楽の方ぢやないですな。
微々 御察しの通り。しかし、そこは半分の有難さで、人並にかゝりもないからね。
武部 益々面白いな。天城更子嬢の要求を、彼氏、如何に受け流すか、これが見ものだ。
微々 なんか、要求をされるのかね、先生。
武部 そいつは、職業上の秘密でね、まあ、あとからお聞きなさい。夕刊には、何れ、大々的に書くつもりです。
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○高円寺 三堂微々の住居。
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微々は武部を案内して上る。
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微々 やあ、御苦労でした。さあ、どうぞお楽に……。
武部 (あつけに取られて)三堂さんは……?
微々 僕です。
武部 さうですか。それや、失礼しました。
微々 いや、こちらこそ……。早速ですが、その話といふのを承りませう。
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○展覧会場。
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天城更子が横井と嬉野とを従へてはひつて来る。切符を買つてすぐに問題の絵を探す。
受附では、六遍とわたるとが顔を見合せて囁く。
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六遍 来たぜ、実物が……
わたる 買ふな、きつと。
六遍 しまつた、定価札を書き替へとくんだつた。
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○問題の絵の前。
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更子 なに、色まで附けたるぢやないの。
横川 三円は、馬鹿に安いね。
嬉野 安いですよ。
更子 絵だけなら、高いくらゐだわ。
嬉野 モデルがあなたでなければですね。御尤もです。しかし、なかなか、目につきますな。
更子 それが困るのよ。
横川 かうしてみると、女の漫画つてものは、少いもんだね。あれや、誰だ。吉岡弥生女史か。それから……向うのは……。
嬉野 三宅やす子です。
更子 どうしたら、あたしがこんな風に見えるんでせう。考へちやふわ、全く。
横川 その苦心を見せるつもりなんだらう。
更子 さうだわ、なんでもないわ。この絵を買つちやへば、文句はないんだわ。
嬉野 すると、訴訟の方は……。
更子 それは別よ。今迄の分は取返しがつかないぢやないの。
嬉野 それはさうです。
更子 だから、それはそれで弁償させるとして、これから、この絵を人に見せなけやいゝのよ。ねえ、(横川に)あたしからぢや変だから、あなた、買つて下さらない。
横川 買つても、すぐは持つて帰るわけに行くまい。展覧会がすむまでかうしておくのが普通のやうだから……。
更子 そこをなんとか談判して下さらなくつちや。少しは高く買つてもいゝとかなんとか……。
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六遍が、それとなく様子を見に来る。
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六遍 如何です。御気に入りましたか。
更子 あなたがお描きになつたんですの。大変、結構ですわ。
六遍 いや、どうも、恐縮です。至つて、まだ未熟で……。
更子 そんなことございませんわ。何れ更めて御礼に伺はうと思つてるんですけれど、取敢へず、この絵を、あたくしに分けていたゞけませんか知ら……。
六遍 光栄です。
更子 今日、いたゞいてつてよろしうございませう……是非、さう願ひたいんですけど……。
六遍 はあ、それは一度、皆とも相談いたしませんと……なにしろ、展覧会の規則としては……。
嬉野 それは承知してをりますが、今回に限つて、特別の処置を取つていたゞきたい。理由は、追つて申上げるつもりです。
六遍 はあ、それは勿論、売ることは一つの目的ですが、それ以上に、私共には、自分たちの仕事を、成るべく広く世間に……。
更子 それぢや申上げますわ。私の方から申せば、この絵をこれ以上、広く世間になんか紹介していたゞきたくないんです。買ふ買はないは第二として、すぐに、これをこゝから外して欲しいんです。
六遍 と申しますと、つまり……。
嬉野 つまり、展覧の目的物とすることを中止して欲しいんです。徳義と法律の名に於て、それを、あなたに要求します。
六遍 私に?
嬉野 作者たるあなたの自由意志に、われわれは、まだ信頼してもいゝのです。あなたが同意をされなければ、己むを得ない。最後の手段に訴へるばかりです。
六遍 では、今夜までお待ち下さい。仲間と協議の上、多分、思召に叶ふやうに取計らへることゝ思ひます。
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更子は、六遍を尻眼にかけて、悠然とその場を去る。横川と嬉野がその後に続く。
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〇三堂微々の家。
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武部 そこで、この間題に対するあなたの御感想を伺ひたいんですが……。
微々 感想ですか。感想は、もうありませんな。その話を聞くまでは、いろいろ、これでも感想を繞らしてゐたんですが、蔓は、悉く破れました。もう一度、云つて下さい。賠償金は、いくらでしたつけな。
武部 一万円。
微々 一万円……。(考へ込む)
武部 一万円が一文も欠けてはといふことでした。
微々 まからんのですな。(彼は、空ろな眼であたりを見廻す――金目の物でも物色するやうに。しかし、六畳の部屋には、屑屋に払ふほどのものもなく、破れ障子に、初夏の陽のみが豊かに当つてゐる)
武部 では、御感想は、適当にこちらで……。どれ、夕刊に間に合はないといけませんから……。
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武部が去つた後で、微々は、ぼんやり、家の中を歩きまわる。(歌)
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二
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〇場末のカフエー。その翌朝。
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三人の漫画家は、ビールを飲みながら、額をあつめて、協議してゐる。
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六遍 相手は、それや、気狂ひかも知れんよ。しかし、気狂の言ひ分が通らんとも限らんからな。おれの識つてる判事は、娘の恋人を、それが門の外から口笛で彼女を呼んだといふだけで、警察へ突き出した例がある。恋人たる男は、一週間の拘留だ。何処の国の法律に口笛を禁じてあるか。
わたる 管をまくのはよせ。それよりも、対策を講じようぢやないか。弁護士を依頼する必要があるかどうか。
六遍 あるね。漫画の精神を理解した奴をね。誰だらう、われわれの識つてる範囲で……。
わたる それより、一万円はどうする。多少、準備をしとかんでもいゝか。
六遍 よろしい。その方は、おれが引受けた。楽天、一平、その他、先輩のところを廻つておくよ。漫画芸術のために、彼等、一肌脱ぐのは当然だ。しかし、それは、こつちが負けた時の話だぜ。
微々 勝ち負けは時の運だが、勝てば一体、どうなるんだい。もともとぢや情けないね。
わたる だからさ。運動資金といふ名義で、今から、手分けをして……。
微々 待て。苟くも、新興派のわれわれが、大家に頭を下げて、そんなことが頼めるか。第一、こいつは、おれだけの問題だ。君たちに心配はかけないよ。
六遍 おれは、別に、大して心配もしとらんがね。
わたる おれも、どつちかつて云へば安心しとる。
微々 それどころか、おれは、昨日の夕刊を見て、内心、雀躍をしたんだ。今日から展覧会は……。
六遍 それそれ、大入満員さ。それくらゐの見透しがつかずに、朝つぱらからビールが飲めるかい。
わたる 変なもんだなあ。さう云や、おれも、さつきから、相談に身がはいらなかつたよ。
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○展覧会場。
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延々長蛇の如き入場者の列。
六遍とわたるは、受附に忙殺され、微々は、何処からか、慈善箱のやうなものを持つて来て、それを「売約済」の札を貼つた問題の絵の下にぶらさげ、その傍らに、掲示を貼り出した。――
「親愛なる入場者諸君並に諸姉よ。昨夕刊の報ずる如く、三堂微々は、此の作品を描ける罪によつて、計らずも天城更子嬢と法廷に相争ふ不幸を招けり。希くば、家に財なく、嚢中亦常に空しき一漫画家をして、彼の仰慕せしスクリンの女王に対し、その要求する金一万円を投げ与へしめよ。三堂微々は、正義を愛す。たゞ、天城更子嬢と共に、彼女の「美しさ」を護らんがために、法の裁きを怖るゝのみ」
入場者の大部分は、問題の絵の前に立つて動かうとしない。中には、懐中を探り、慈善箱に金若干を投入するものもある。笑声。私語。(合唱)
やがて、群集が二つに割れて、その間を、静々と歩いて来る女がある。云ふまでもなく、天城更子である。伴には、弟子の春日珠枝。
私語は、喧騒に変る。
更子は、絵の下の掲示を読む。職業的な微笑。
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更子 (珠枝に)受附へ行つて、三堂さんが来てらつしやるかどうか伺つておいで。若し来てらしつたら、恐れ入りますが、ちよつとお眼にかゝりたいつて、さう申上げて……。
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私語。笑声。喧騒。
やがて、三堂微々が、思ひの外慇懃な物腰で現はれる。
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微々 僕が三堂微々です。初めまして……。
更子 おや、あなたが三堂さんですか。ぢや、昨日の方は……? まあ、なんでもよござんす。弁護士から、直接お話することは禁じられてをりますけれど、昨日お願ひしたことが実行されてをりませんので、ちよつと、その理由を伺つておきたいんですの……。
微々 はあ、この絵を撤回することですか。それは、つまり理由としては、さうするのが惜しいからです。
更子 惜しいとおつしやいますと……。
微々 つまり、残念なんです。
更子 私がたつてと申上げてもですか。
微々 あなたがたつてとおつしやつても、僕が困ると云ふんですから、これはちよつと、やはり困ると思ふんです。
更子 では、そのことは、外の方法で解決をつけませう。
微々 どうか、さう願ひたいもので……。
更子 いゝえ
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