し……変ですわ。どう、もう一度。……すみません……。
微々 (渋々)困るなあ……さうなんべんも……。ぢや、これで、はつきり、どつちときめて下さい。あとから苦情をおつしやつても駄目ですよ。
更子 (二つを見比べ)なんだか、わからなくなつちやつたわ。さうねえ、まあ、どうしても、こつちね。ぢや、これつていふことにしときませう。
微々 (ゆつくり手をのばし)さうですか。あなたは、かういふ品物を、しよつちゆういぢつておいでになるんだから、僕よりはたしかでせう。(手に取つて石を見て)さうですかなあ……。いや、たしかに、こいつが僕んでせう。なにしろ、こいつは、金五円の人造ダイヤですし、懸賞千円附の品物と並べられたゞけでも仕合せな代物ですよ。(蟇口にしまふ)
更子 では、御礼のことですけれど、ちよつとお待ち下さい。(奥へはひる)
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微々は計画の悪戯が、まんまと図に当つたので、頗る得意である。やがて更子が現はれる。
[#ここで字下げ終わり]
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更子 (微々に)あの、あたくし、今の、間違つてましたわ。
微々 (腰を浮かし)今の、なんですか。
更子 これが、あなたのですわ。そちらがあたしのでしたわ。
微々 (腰を浮して)それが僕ので、こちらが、あなたの……それは、どういふ意味ですか。人のものは自分のもの、自分のものは人のもの……そんな法はないでせう。(起ち上つて、後すざりをする)
更子 (手に持つた人造ダイヤを相手の方に差出し)だつて、さつきは、あたしの眼がどうかしてたんですわ。
微々 あなたの眼は、あなたが責任をお持ちなさい。
更子 さあ、それ、返して頂戴……ようつたら……(追ひ縋る)
微々 (逃げ廻り)いや、断じて……。もう、解決はついてゐます。あとからの苦情は受けつけません。
更子 およこしなさいつてば、こつちへ……。(大声で)みんな来て頂戴……。
微々 (椅子を楯に取り)つかまへてごらんなさい。
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横川と嬉野が飛び込んで来る。
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更子 ねえ、ほんとに、承知しないわよ……。
微々 降参しますか。(笑ひながら、ポケツトから蟇口を出し、例のダイヤを彼女の方に差出す。更子が、一方のやつを渡さうとするのを拒み)いや、それも取つてお置きなさい。また、あとで、こつちだなんてことになると厄介ですから……。(椅子にかける)
横川 なにを騒いでるんだ。
更子 (横川に今受け取つたダイヤを示し)ねえ、これでせう。
横川 (検めて)うむ、これだ。
更子 さつきの……ねえ……今、駄目……?
横川 (鷹揚にポケツトから小切手を出して更子に渡す)
更子 ぢや、これ……御約束の御礼ですわ。
微々 (その小切手を、横川の方に突き返す)
更子 どうしてゞすの……(また、それを後ろの方に押しやる)
微々 (黙つてまた、押し返す)いりません、こんなもん……。
更子 それぢや、あたしが困りますわ。
微々 どうしても、御礼をなさりたいんですか?
更子 ……。
横川 まあ、受け取つてお置きなさい。
更子 ほんとに……。
微々 僕は、その代りに、ほかのことを要求します。
更子 なんですの?
微々 あなたの漫画を、もう一度描かせて下さい。(こだわりのない微笑)
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更子は、微々の顔をぢつと見つめてゐるが、やがて、傍らの長椅子の上に、わツと泣き伏す。
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微々 (慌てゝ)御免なさい、御免なさい。
更子 (急に顔をあげ、にツと笑ひかけるが、また、顔を両手でかくし)あたしも、御免なさい。
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さう云つたかと思ふと、再び、突つ俯して、声をあげて泣きはじめる。
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○広い庭園を前にしたレストランのテラス。
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夜だ。
天城更子、三堂微々、横川洗身の三人が卓子を挟んで、食後のカフエーを飲んでゐる。
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横川 これで、仲直りができたわけだな。この、世にも稀れな二人の喧嘩は、結局、二人の損にはならなかつたと思ふが、どつちも引つ込みがつかなくなると困るからな。まあ、好い加減のところで、媾和条約を結んだ方がよからう。何か飲みますか三堂君……?
三堂 更子さんは……?
横川 この人は、ミリヨン・ダラアだ。さうだらう。
更子 なんでも結構……。
横川 いやに神妙だね。
更子 飲まないつて云つてやしないわよ。
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横川が、ボーイに、ウヰスキイを命じる。
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微々 今、どんな映画を撮つてるんですか。
更子 つまんないんですわ。亜米利加もんの焼直しよ。
微々 「亜米利加もんの焼直し」……はあ、その題はちよつと面白いな。
横川 題ぢやないよ、君……。亜米利加の映画から筋を取つて、それを日本に直したものさ。今、なんだつけな、「君にひとくち」だつけかな。あれや、しかし、愉快な映画だなあ。
更子 主題歌は、新しい作曲よ。かういふの……(歌ふ)
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はじめ怒つてはみたものゝ
これは度が過ぎ、今更に、
ひつこみつかず、あちこちと
あたりちらして、気がつけば、
なにがなにやら、世が変り
人さへ見れば、笑ひたい。
オホホ アハハ エヘヘ
ウフフ イヒヒ オホホ
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微々 (真似て)
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ハハハ エヘヘ イヒヒ
オホホ ウフフ アハハ……。
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○無蓋自動車の上。
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更子と微々とが並んで乗つてゐる。
[#ここで字下げ終わり]
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微々 横川さんといふ人は、あなたの送り迎ひをするためにこの車を持つてるわけですね。
更子 使ひたい時は何時でも貸してくれるわ。
微々 特志家つていふもんは、やつぱりあるんだなあ。
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長い沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
微々 早いなあ、もう、そこですよ。
[#ここから5字下げ]
自動車が、更子の家の前に止る。
[#ここで字下げ終わり]
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更子 ぢや、今度は、あたしが送つてくわ。何処、お宅は?
微々 市外高円寺……。
更子 (運転手に)高円寺へ廻つて頂戴。
[#ここから5字下げ]
車動き出す。
長い沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
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微々 随分ありますよ。
更子 結構……。
微々 風がありますね。(帽子を押へる)
更子 ほんとにね。
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○郊外の暗い道。
[#ここで字下げ終わり]
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微々 淋しくありませんか。こんなとこ?
更子 あなたは?
微々 あなたから先へおつしやい。
[#ここから5字下げ]
長い沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
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微々 おつと、その横町を左へ……。
[#ここから5字下げ]
間
[#ここで字下げ終わり]
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微々 そこを右へ……。
[#ここから5字下げ]
間
[#ここで字下げ終わり]
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微々 また右……。
[#ここから5字下げ]
間
[#ここで字下げ終わり]
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微々 突き当つて、左へ……。もう少しだ、ストツプ!
[#ここから5字下げ]
二人は顔を見合せて。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
微々 もう一度、送つて行きませう。(運転手に)おい、君、済まないが、引つ返してくれ。
更子 あたしん家よ。
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車が動き出す。
[#ここから1字下げ]
○更子の家の前。
[#ここから5字下げ]
車が止る。
更子は微々の顔をぢつとみて、降りようとしない。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
微々 ぢや、さよなら、おやすみなさい。
更子 いゝわ、もう一度、送つてつてあげるわ。
微々 僕、少し、喉が渇いたんですよ。
更子 ぢや、その辺で、何か飲みませう……。(運転手に、何か囁く)
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車はまた動き出す。
[#ここから1字下げ]
○あるカフエーの前。
[#ここから5字下げ]
二人は車から降りる。
[#ここから1字下げ]
○カフエーの中。一隅のボツクスに陣取る。女給が来る。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
更子 なに?
微々 プレンソーダ。
更子 ぢや、二つ。
[#ここから5字下げ]
女給が、ソーダ水を持つて来る。二人は、黙つて、ストロウを唇にはさむ。時々、上眼使ひに、お互の顔を見合つてゐるが、遂に視線が合ふ。
微笑。
コツプのソーダ水がだん/\減る。
二人は、飲み終ると、同時に、ストロウを咬いたまゝ、顔をあげる。そして、眼と眼とで、深い微笑を交しながら、次第にストロウの先を近づけ合ふ。それが、やがて、軽く触れる。すると一方はバス、一方はアルトに近い、麦稈を空のまゝ吸ふ剽軽な音が、まさしく、最初の接吻を意味するものとして、なんの不自然もなく聞き取れる。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から5字上げ]――終り――
[#ここから5字下げ]
この脚本の映画化に際して、伴奏は勿論必要であるが、会話の部分は絶対に歌を用ひないことにする。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「岸田國士全集5」岩波書店
1991(平成3)年1月9日発行
初出:「日本国民 第一巻第四号」
1932(昭和7)年8月1日
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:kompass
校正:門田裕志
2008年3月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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