割を演ずる作者は、さうざらにあるものではない、さうかと云つて、いつまでも、バンヴィルやゾラを演《や》つてゐたんでは自由劇場も存在の理由がなかつたであらう。やつぱり、無理を押してゞも、無名作家の名を振りかざした処に、あの仕事の意義があつた。
そこで、わが新劇団の多くに望む一事は、「未知の才能をその萌芽のうちに見出せ」といふ難事業よりも、寧ろ、上演目録編成に当つて、劇団の個性を発揮することに努めること、即ち、何等かの意味で、劇壇に於ける一つの「新しき存在」となり得るために、「特色ある舞台」を作るといふことである。
この個性といひ、特色といひ、それは今日新奇を追ふものゝ一切を含んでゐない。たゞ、その劇団の「生命」――「看板作者」によつてその尖端を形造る一つの「傾向」を云ふのである。例へば、かの――「舞台を詩人の霊感に委せよ」といふ主張の如きこそ、最も鮮やかなる新旗色であらうと思ふ。
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新劇団の簇出は、勢ひ在来の劇団、即ち、新劇を演ずる玄人団体の存在を思ひ起させる。
敢て名を挙げよう。曰く、新劇協会、曰く舞台協会、曰く兄弟座、曰く……。美しく云へば花火の如く、神秘
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