劇壇漫評
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)演《や》つて
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 新時代の演劇熱が、いよいよ通過すべき処を通過しつゝあるやうである。といふのは、戯曲創作熱から脚本上演熱に遷らうとしてゐることである。
 昨今、少し大袈裟な云ひ方をすれば、新劇団の創立を伝へない日は稀である。何々座試演の招待券を貰はない日は稀である。実際の仕事を見なければ何んにも云へないわけであるが、これがたゞ単に、彼の戯曲創作熱がさうであつた如く、既成劇壇の模倣に終始しないことを切望するものである。月並な警告と云はゞ云へ、これら新劇団の標準が、果して何処にあるかを、考へてゐる人間があることだけでも知つてゐて欲しい。
 幸四郎がシエイクスピイヤを演じ、歌右衛門が乃木大将夫人に扮し、菊五郎が支那服を着て踊り、而して我が武者小路実篤氏が自作自演をする当節、何人か能く一代の名優たらざらんやである。
 私事に亘つて恐縮であるが、先日電燈会社社員某氏の名を以て、拙作上演の許諾を求められた。電燈会社から素人俳優……? 僕は、それが若しや瓦斯会社の間違ひではないかと思つた
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