。そして、その某氏こそ、仏蘭西式に呼べばアンドレ・アントワアヌではないかと思つた。
 諸君は、かういふ僕を可笑しいと思はれるなら、一昨々年か巴里で出版された自由劇場回想録を読まれるがいゝ。アントワアヌは、その当時、瓦斯会社の集金係をしてゐた。そして、仲間の芝居好きと一緒に素人劇団を組織した。その頃、巴里を中心に、素人芝居が盛んに流行してゐた。「今の若いものが踊りを踊るやうに、その頃の若いものは、役者の真似をした」と云つてゐる。
 どうです、僕が胸を躍らしたのも無理はないでせう。僕はかねがね、現今の日本劇壇は仏蘭西の一八八七年頃に相当すると思つてゐる。なぜなら………………くどいからよしませう。
          ×
 脚本上演熱に関連して特筆すべき現象は、これら新劇団の多くが、「自分らの作者」らしきものを擁してゐることである。このことは過日水木京太君も時事新報紙上で指摘してをられたやうであるが、僕はそれを非常に結構な現象だと思つてゐる。杞憂を述べればいろいろあらうが、まあしばらく見てゐようぢやありませんか。かういふ場合、度々引合に出される例ではあるが、モスクワ芸術座に於けるチエホフの役
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