、説明は不要であらう。
第二は、別段心がけなくても、大概、そこへ行くのであるし、また、実際のところは、何人も、これが「読む戯曲」だとは云ひ切れない性質のものであるから、自ら、「読む戯曲」を標榜して書くといふことは、ただなんとなく勇ましいだけで、そのために、後悔することはないであらう。
第三は、これは昔から、といつても「新劇の揺籃時代」以後、日本などでよく用ひられた宣言らしく、私なども、今もつて、心の一隅に、さういふ悲壮な決意を蔵してゐる次第だが、残念ながら、「未来の俳優」は、おほかた、「未来の作家」のものをやるだけで相当忙しいであらうし、その時は、われわれの古い脚本などは役に立たず、また覚えてゐてもくれないに決つてゐる。しかし、滑稽に見えさへしなければ、一応、今日の劇作家は、これくらゐの空想を描いてゐて差支あるまい。特に、私は、今日天才作家が現はれるとしたら、是非この覚悟で文字通り不朽の傑作を残しておいて欲しいと思ふ。
第四は、劇作で生計を立て、俳優を知己にもたうとする野心家のために、永久に開かれた唯一つの安全な道である。
第五は、誰でも考へてゐさうで、しかも、今日の若い作家は
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