、あまり考へてゐない道であつて、私などは、近頃、痛切にかういふ劇作家の出現を望んでゐる。甚だ烏滸がましいやうであるが、自分でも、さういふ方向に今後努力を向けたい希望が生じつつあるので、出来不出来は兎も角、今度、初めて、「現在の俳優」に当てはめた脚本を書いてみた。七月の改造に出した「浅間山」がこれである。今まで書いたものと、幾分でも調子が変つてゐれば、さういふ意気込の現はれと見てもらつて差支ないのである。この態度は、左右両端から評判のよくない社民党的態度に類するものであるが、演劇のラヂカルな革新は、われわれの手で実行覚束ないのである。
 第六は、これこそ、今日の劇作家が、殊に、雄図を蔵した劇作志望者諸君が、その目標をおくべき最も有望多幸な道であり、これに成功しさへすれば、シェイクスピイヤもイプセンも怖るるに足らぬわけである。旧来の歌舞伎劇はその劇場の大部分を失ひ、新派は瞬く間に消滅し、これまでの「新劇」は、翻訳劇乃至西洋劇模倣の領域に閉ぢ込められ、演劇不振の声は、昔日の夢と化するに違ひない。
 だが、しかし、こんな理想を描く方が、実は夢に近いのである。なぜなら、これこそは、大天才の出現を
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