ある)小学校ぐらゐを卒業し、簿記学校へでも通つたか、兎に角、早くから家計を助ける為めに職に就いた、さういふ型の男である。
 此の年までに、いくらか文学書も読んだらう(ミュッセの詩ぐらゐは小学校でも習ふ)。いろんな話も聞いたらう。「自らパンを得る青年」として、彼の「小さな母」を煙に巻くゞらゐの舌はもつてゐる。学問はなくとも、そこは巴里で育つた仏蘭西人である。人並の洒落や理窟は何時の間にか覚えた。相手がそれほどの才女でなければ、「どうです、少しその辺を……」とかなんとか、あつさり云ひ出して見るくらゐの自信もついてゐる。
 女は、恐らく早く両親に別れ、その為めに貞操をパンに代へた一人の少女であつたらう。恋といふ恋をし尽した女、それは彼女の移り気を語るものか、さうではなからう。愛すれば愛するほど男に離れる、さういふ運命をもつて生れた女であらう。
「わざとさうしてるわけぢやないのに、あたしが愛した男は、みんな貧乏なんですもの……」
 彼女は、男が貧乏と知つて(一人の女を食はせて置くだけなら金持ちではない)その愛を他の男に遷し得る女の一人ではなかつたのである。
 流行と逸楽、追従と気まぐれに日を送
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