た霊感が、独自の文体を生ましめる。それが作品の色調《トーン》を決定する。
ルナアルの描く人物は、必ずしも常に機智に富んだ人物ではない。ルナアル自身の眼からは、その機智すらも愚かなる衒気と見えるやうな人物が可なりある。それに、作品そのものは極めて才気煥発といふ感じがする。極めてスピリチュエルである。これは、作中の人物以上に、作者の機智が光つてゐるのである。人物の言葉に耳を澄ましてゐる作者の眼――その眼つきが、人物以上に物を言つてゐるのである。これは、ルナアルに限らず、優れた喜劇作家の眼附である。繊細な心理喜劇が往々浅薄扱ひを受けるのは、此の「作者の眼」が見逃され易いからである。
ルナアルは断じて浅薄な作家ではない。
芸術家としてのルナアルの偉大さは、彼が聡明なペシミストであるが為めに、たゞそれが為めに、屡々凡庸な批評家を近づけない。
彼は叫ばない、彼は呟くのである。
彼は泣かない、唇を噛むのである。
彼は笑はない、小鼻を膨らますのである。
彼は教へない、眼くばせをするのである。
彼は歌はない、溜息を吐くのである。
彼は怒らない、眼をつぶるのである。
そして彼は、友と
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