る。稍々一本調子のきらひ[#「きらひ」に傍点]はあるがそれだけあぶなつけ[#「あぶなつけ」に傍点]がなく、いくらか平凡にはなるがそれだけ自然さがある。成功であると思ふ。
田村秋子嬢のルーカは、あゝ何時もすね[#「すね」に傍点]てゐなければならないであらうか。だからほんとにすねる[#「すねる」に傍点]時にそのすね[#「すね」に傍点]がきかなくなる。よくあることだ。
小川昇氏は暗がりにばかりゐるので、よく見えなかつた。
要するに翻訳劇を日本でやるとすれば、先づ第一に脚本の銓衡、翻訳者の名前に囚はれないで、上演に適した翻訳であるかどうかを吟味することが必要である。こんなことは云ふまでもないことであるが、此の誤りは遂に俳優を窮地に陥れるものである。あの間伸《まの》びのした台詞廻し、朗読の範囲を一歩も出ない抑揚緩急、科《しぐさ》と白《せりふ》との間に出来るどうすることも出来ない空虚、これ等は前にも述べた戯曲の文体から生ずる欠陥である。
私は日本の近代劇が先づ此の点で大きな障害にぶつかつてゐることを痛切に感じる。
芸術座の予告によるとアンドレーエフ氏作吉田甲子太郎氏訳『殴られるあいつ
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