運動が作り出した若い女の一つの型《タイプ》で、「オボコ」らしくて実はコケットな、どうかするといくらかサンシュエルな女なのである。たゞかう云ふ役の為めに八重子嬢が豊かな素質を持つて居ることは否むわけにはゆかない。様々な場面の様々の表現に於いて、信頼するにたる舞台監督の助言は現在の嬢にとつては必要欠くべからざるものであらうと思ふ。
 カザリンに扮する室町歌江嬢は先づ第一にその演伎に統一のない事が欠点である。俳優が「第一の自己」を舞台で働かせ、「第二の自己」をしてそれを監督させることを可とする俳優技芸論に従ふとしても、「第一の自己」を働かしておいて第二の自己がぼんやりとしてゐたんではしかたがない。
 それからこれは歌江嬢ばかりでなく、石川治氏についても云ひ得ることであるが、自分が云ふだけのことを云つてしまつたら彼は自分の番を間違へないやうにすればいゝと云ふやうな、それ程でもあるまいが、さう云はれても仕方がない程、相手の云ふことを馬耳東風と聞き流し、相手の口から出る一句一句に対して何等の反響を示さない「怠慢な表情」を見ると少々情なくなる。
 河原侃二氏の扮するペトコフは至極愉快な人物になつてゐ
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