といふことであります。
伝統的な日本の芸術のうちで今日一般に行はれてゐるものについて見ます場合に、さういふ芸術が曾ての日本の如何なる時代に、また如何なる環境においてはぐゝまれて来たか、さうして如何なる時代の如何なる階級の民衆によつて創り出されて来たかといふことを十分考へてみますと、これらはいづれも特殊な事情の中で創り出されたにも拘らず、なほかつそれらのうちに或る渝らざる日本のすがたとして考へられるものが見出されます。われわれはいま日本芸術のこの渝らざる或るものを見極めることが、一つの重要な任務ではないかと思ひます。音楽に関しましても、日本の伝統的な音楽の中からこの渝らざる或るものを見出すといふ努力が、今日では一層大切ではないかと痛感致します。
このやうに日本芸術独自の渝らざる部分を見極めると同時に、われわれが最近学びとつた西洋の芸術についても、十分にそれを日本人として消化し得る部分と、消化し得ない部分とをやはりはつきり見極めることが大切ぢやないかと思ひます。さういふ批判検討の上に立つて、将来何十年或は何百年か後に、新しい日本の国民芸術が生れて来ることを、われわれは十分の希望と期待を
前へ
次へ
全13ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング