のである。作者は、時として、此の皮肉の鞭をふるつて(此の鞭には、断るまでもなくモラールの鈴がついてゐる)作中のある人物を懲らすことがある。その鞭の威力は、大に読者の期待するところであるが、動もすると、それさへ『まあまあ』と云ひたくなる時がある。関口君の皮肉は、どちらかと云へば、神経的皮肉であり、アナトオル・フランス流の理智的皮肉ではない。
『女と男』でも『夜』でも、人世の皮肉を正面から取扱つてゐながら、作者自身の皮肉がその上にやゝ容赦なき嘲笑を浴せかけてゐるために、その重複が、却つて作者の企図した効果を弱めてゐる憾みがある。
 かう云ふと、関口君は甚だ冷酷な皮肉屋のやうに聞えるが、その皮肉は、常にまた自分自身の上に加へてゐる皮肉である。辛辣でゐて、ためらひ勝ちに見え、時によると、不思議なはにかみ[#「はにかみ」に傍点]をその作品のおもてに露出させてゐるのはそのためである。
 関口君の作品にかの『偉大なる皮肉屋』がもつ一種の|寛大さ《ジエネロジテ》が芽ぐむであらう時、彼は一層魅力に富む作家となるに違ひない。

 今、此の『鴉』一巻を手にして思ふことは、わが関口次郎の仕事はこれからだ――と
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