いふことである。そして、それは決して、これまでの仕事が未熟であつて、見るべきものがないといふ、そんな月並な理由によるのでなく、大抵の作家なら、その辺で一と先づ息をついて、やれやれこゝまで来れば……と気をゆるしてしまふところを、あくまでも、もう一と息、もう一と息、と新工夫を積んでゐる。その姿がはつきり、此の一巻の中に浮び出てゐるからである。
 今日まで新劇の揺籃時代とすれば、次の時代は、かくの如き作家によつて始められるのであらう。
 悲劇より喜劇へ、此の新しき傾向も亦、関口君の仕事と結びつけて考へることができる。
 少し大袈裟な例であるが、イプセンの生涯が、近代劇の進化そのものを語つてゐると云はれる如く、わが関口君の業蹟は、事によると、昭和以後日本新劇史の足跡を示すものかも知れない。――勿論、こゝで傍流作家の存在を忘れてゐるのではない。傍流、必ずしも、亜流ならず、また、小流ならず、たゞ、傍流はどこまでも傍流なのだから仕方がない。

 戯曲集『鴉』を批評する資格は僕にはないのだが、ないでは済まされないわけがある。関口君は僕の仕事の上の友である。

 関口君は、今、作劇の筆を収めて、徐ろに小
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