僕はたゞ、此の失敗を、それほど作者の為に悲しまない。なぜなら、常に安きにつくことは若き作家の取るべき態度ではないからである。関口君の如き思慮深き作家に取つて、此の種の作品は、当に一つの冒険でなければならぬ。関口君は、こゝで、その建築家的才能を秘めて、一途に、未だ嘗つて試みなかつた画家的手法を採用し、やゝ色彩の調和を誤つた形である。
思ふに、此の評は一部戯曲専門家には容れられるかはわからないが、他の多くの読者には殆ど一顧だに値しない空論であるかも知れぬ。といふわけは、此の『真夜中』は、その人物の配合と、事件の交錯とに於て、読者の好奇心を惹くに充分であり、しかも、多分のユーモアが作者独特の皮肉に交つて、わけもなくわれわれの微笑を誘ふからである。
喜劇小品と銘うつた二個の『十五分劇』は、何れも、作者の皮肉屋たる本性を露骨に示したもので、この皮肉は実に、関口君の全作品を通じて殆ど到るところに『尻尾』を出してゐる。
なぜ故らに『尻尾』を出してゐるかと云ふと、作者は、それほど意識して此の『皮肉』を濫用してゐるのではなく、作者の興味が、何物かに向けられた瞬間、そこには、自ら、皮肉の影が映る
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