『母親』以来――によつて本格的手法の冴えを示したからである。
しかしながら、僕は、作者が自らも気がついてゐないであらう特質の一面が『母親』から『秋の終り』に至つて、更にまた『暁を待つ』(此の集にはひつてゐないのは残念である)に至つて可なり鮮やかに表示されてゐるに拘はらず、同じ傾向にありと思はれる、『勝者被勝者』や、『彼等の平和』に至つて、聊かその輝きを消してゐるのに気づいて、作者の為に惜しい気がしてゐることを告白したい。
その特質の一面とは、『心理的詩趣』とでも云ふべきものである。
同じ劇作家にも、様々な特質があつて、その特質によつて、それぞれ発揮する魅力が違ふのであるが、関口君は、たしかに、この一面だけでも、わが国の現代作家中、特異な地位を占むべきである。関口君の作品が、久保田万太郎氏の作品に一味相通ずるところのあるのは、此の点であらうと思ふ。
さうかと云つて、関口君が特に此の『心理的詩趣』のみを制作の動機とする時、そこには、概して雰囲気の冷たさを残してゐる。云ひ換へれば、作者の『心』を感じさせない何ものかゞある。『真夜中』は此の意味に於て、やゝ失敗の作たることを免れない。
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