みんなどれでもさうだと云へば云へないこともないが、僕の望むところは、人物が、もつと自分で云ひたいことを云ひ、したいことをしてゐるといふ感じを与へて欲しい。此の評は甚だ概念的で、特殊な作家の、特殊な作品を評する場合、やゝ妥当でないが、これといふ欠点をもたない戯曲に対して、常に考へさせられる問題である。
『勝者被勝者』と『彼等の平和』は、共に関口君のモラリストたる所以を悉く発揮して、而も、やゝその点に不満を抱かせる作である。何故かと云へば、そこには、主題が生活から遊離するかの『問題劇』の危ふさを感じさせるからである。
勿論、此の二作は、関口君の他のすべての作に於けると同様、所謂『テーマ』の取扱ひ方に於て、従来の『問題劇』と云ふ型を脱し、その『テーマ』を貫く正義感も、決して論議の為の論議として現はされてゐない。殊に、作者は主張することをやめて、探究する立場を守つてゐる。此の慎ましい態度は、何人にも好感を抱かせるものである。
関口君が、当今の劇作家を通じて、殊に、新進作家の一群中にあつて、独り戯曲の本道を歩み、将来の大を期待される所以は、恐らく此の種の戯曲――処女作にして同時に傑作たる
前へ
次へ
全11ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング