少し作者は論理《ロジツク》を無視して貰ひたいことである。論理的ならざる生命感の摘出に意を用ゐてほしいことである。フアアスの行くべき道は、単に戯曲的諷刺のみではない筈である。寧ろ『必然』に背を向けたフアンテジイの高調こそ、近代フアアスの精神であるかもわからない。

『乞食と夢』も亦、喜劇とフアアスの間を行く作品である。一人の乞食が偶然出会つた盲目の乞食に、自分も乞食であることを知らさずに金を施すのであるが、他人を乞食扱ひにする快感を味ふひまもなく、相手の姿の中に自分自身の姿を見出して束の間の夢を破られるといふ筋――これはたしかに面白い話である。しかし、なかなか纏めるのに六ヶ敷い場面だ。例によつて周到な舞台技巧が用ゐられ、さのみ淀みなく筋が運ばれてはゐるが、そして、一応、心理の屈折は描かれてゐるが、まだまだ好くなりさうだといふ気がするものである。僕の考へでは此の作に現はれて来る乞食は、乞食の真似をしてゐる男になつてゐる。それよりも乞食ならばこんな時にこんな気持がするだらうといふ、その気持を示すために、作者がわざといろいろなことを云つたり、したりさせてゐるやうなところがある。芝居といふものは
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