せである。
 モラリストであるためには、必ず理想主義者でなければならないといふわけはない。
 関口君は、芸術的に、なほさうである如く、思想的にも可なり現実主義的色彩が濃厚である。この色彩は、同時に彼のペシミスチツクな一面を物語つてゐるやうに思はれる。
 僕は、自分がさうであるせいか、関口君の作品から受ける思想的感銘には屡々顔を蔽ひたくなることがある。やりきれないといふ気がすることがある。
 たゞ、これは想像に過ぎないが、若し関口君に少しでもデイヤボリツクな傾向があつたら、それこそ、彼の作品は、恐ろしいものになるだらう。恐ろしい――さうだ、色々の意味で。

『女優宣伝業』は、関口君が最近に拡張した芸術的一領土である。
 尤も、嘗て『青年と強盗』を書いて、此の野心を示しはしたが、それはやゝ瀬踏みに近いものであつた。然るに、此の『女優宣伝業』はなほ此の種の形式に必要な一二の用意は欠けてゐるにしても、兎も角も、大胆に、愉快に、そして見事に、大きな一歩を踏み出してゐる。
 由来、笑劇(フアアス)といふものが、芸術的作品としてその新しい評価を得たのは西洋でも極く最近のことである。
 古くは『代言人
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