へ湛へて、渾然たる芸術的完成を示してゐる。その手堅い写実的手法を裏づけるしめやかな哀感は、かのヴイルドラツクの『寂しい人』の一場面を思はせるが、それよりも、これは一層切迫した呼吸使ひを感じさせる点に於て、作者の神経が尖つてゐると云ひ得るだらう。勿論、此の主人公は肺を病む文学者である。身辺の蕭条を感じる程度に於て何程かの違ひはあらう。しかも、此の作者は、故ら、その苦悶を外面に爆発させてゐる。此の一点で、僕は、少し云ひ分がある。

 それにしても、関口君は、独逸文学の専攻であるにも拘はらず、甚だ平明な考へ方を好んでゐる。従つて、読者の理解を困難にするやうな一切の物の言ひ方を避けてゐるらしく見える。その為に、どうかすると却つて、理に落ちるといふやうなところがないでもないが、その代り、よくわれわれ未熟な作者どもが陥るかの接合点や、思はせぶりがなくて頗るよい。

『秋の終り』一篇が代表する関口君は、当に思想的に云ふところのモラリストである。虚偽と、我慾と、暴虐に対する人間本性の声に絶えずつゝましく耳を傾けてゐる。そして、それはまた因襲的道徳に対する反抗であり、罰せられざる罪悪に対する良心の眼くば
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