とも、その人物からいつて、私のこしらへ上げた「型」にそのままはひる人物ではなく、聊か心外なのであるが、結局、私の見聞がまだ狭いのか、彼の「生れつき」が余程異例に属するのか、その辺のところもまだ突き留めてはみないのである。ただ、彼の作品は、文壇の一部では既に認められてゐる通り、紀州の「憂鬱」を自然詩人の巧まない諧調に託し、一種底冷えのやうな冷たさを南国的湿気の中に漂はすもので、その感受性の豊富さ、殊にその脆きまでの鋭さは、たしかに「紀州的」なあるものを感じさせるといつていい。
話が少しわき道へそれるが、私の代になつて、系図からいへば、恐らく久し振りで他国人を血統の中に交へたことになるのであらう。私の娘二人は、山陰伯耆の流れを汲むことになつた。家内は米子の産である。かういふのをやはり雑婚といへるなら、欧洲あたりの例に見ても、これは必ずしも悪い結果は生まないだらうとも考へられる。種族は互に混り合ふほどよいといふ説もあるくらゐで、ただ、さうなると、文学などの上で、作家の郷土的穿鑿がやや面倒になるだけである。かのエドモン・ロスタンの作品は、可なり「スペイン的」色彩が濃厚であるといふので、ある批
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