さて、多少の独断は許してもらふとして、私の観察は、凡そ以上のやうなことを私に教へたのであるが、これを文学にもつて来るとまた面白い結論が引き出せさうだ。
 断つておくが、私の書くものなどは、凡そかういふ見方をするためには不純極まるもので、紀州人としての素質は、他の様々な夾雑物によつて覆はれ、歪められてゐるに相違ないけれど、佐藤春夫氏の作品などについて、将来この種の研究を進めて行けば面白くはないかと思ふ。またこれを文学的に観れば、更に別な「紀州色」を附け加へなければなるまいとも思つてゐる。私は個人的に佐藤氏をよく識らないのだし、むろん、前に述べたやうな箇条を、人としての同氏に当てはめてみたことなどは一度もない。まして、私の貧弱な論断が、多くの例外をまで含めることのできないのは、遺憾ながら已むを得ない。
 おまけに、私の知つてゐる紀州は、和歌山市の一部と和歌の浦の一隅である。有名な蜜柑畑も、紀ノ川も、高野山も、粉河寺も、熊野の浦も、綿ネル工場も、なにもかも観たこともないのである。
 私のところへ遊びに来る新進劇作家阪中正夫君は、粉河に近い、紀ノ川のほとりの生れだと聞いてゐるが、彼は、少く
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