会話は外国語習得の最も俗な分野であると考へられさへした。実際また、会話を専門に学ぶ人々、例へば外交官とか通訳とか、或ひは外国商館に勤めやうとする人とかは、たゞ会話ができるやうになるために、実につまらぬ苦心を払ひ、肝腎なことがお留守になるといふ有様である。かういふふうな考へ方でいままで外国語の教育が行はれてきた。ところが、実際問題としては、さういふ外国語の習得の仕方が、やはりそれぞれの目的を半分づつしか達してゐないのである。例へば、大学の先生で、専門的な本はかなり読みこなせる人が、その専門的な学問について、さらに欧米の学者と議論をするやうな場合に、口が自由に利けなくなつてほとんど用が足りないことがあり、研究にも事を欠くとすれば甚だ考へものである。ところで、かうした結果になつたことは、外国語を通じて専門的な知識を身に付けるには、本さへ読めればいゝといふ、いはゞ一種の自己弁護が成り立つことに依るのだが、このことがそも/\外国語に対する間違つた考へ方に原因してゐるのである。即ち、外国語といふものは、「外国人のやうに」喋つたり書いたりしなければいけない、かういふ考へ方が過去において日本人の頭にか
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